今月の法話
今月の法話 令和5年12月
各各(おのおの)随分(ずいぶん)に法華経(ほけきょう)を
信(しん)じられつる故(ゆえ)に
過去(かこ)の重罪(じゅうざい)を
責(せ)め出(いだ)し給(たま)いて候(そうろう)
譬(たと)えば鉄(くろがね)をよくよく鍛(きた)えば
疵(きず)の現(あら)わるるが如(ごと)し・・・
(乃至(ないし))・・・
此(こ)の度(たび)こそ真(まこと)の御信用(ごしんよう)は現(あらわ)れて
法華経(ほけきょう)の十羅刹女(じゅうらせつにょ)も守護(しゅご)
させ給(たも)うべきにて候(そうろう)らめ
【 兄弟抄(きょうだいしょう) 】
日蓮大聖人は「法華経の信仰を深めていけばいくほど、何故(なぜ)自分には次から次へと困難が身に降りかかるのかと嘆(なげ)いてはいけない。なぜなら一生懸命に法華経を信じてこられたために、過去世の重罪がこの世に責め苦となって現れているからである。たとえば鉄(てつ)も、よくよく鍛えていけば、その内部の疵(きず)が表面に現れてくるようなものだから。だからこそ法華経への揺るぎない信心が現れたとき、法華経擁護(ほけきょうおうご)の十羅刹女(じゅうらせつにょ)も必ず守護を垂(た)れて下さるはずである。」と、述べておられます。
かく考えたとき、法華経に向かって真(しん)にお題目への道を歩んでいるとしたのならば、どのような責め苦に遭(あ)い、世間から如何(どのように)に責められようとも、神仏の眼には叶っているのではないかと、心から強くそう思うのです。
誕生寺 布教部